日常の出来事や奮闘記

日々のパパのつぶやきです

「会社を辞めよう」と思いが決意に変わった瞬間

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皆さんこんにちは、今日は2021年3月7日の日曜日です。

 

ブログを書こうと思い立ち前回より暫く間が空いてしまいました。

 

今回は空白の時間を埋めてみようと思い書いています。

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2020年11月

世の中ではジワリと新型コロナの感染者が増え始めた頃でした。

 

仕事も通常の仕事量が減り年末年始が全く分からない状況でしたね。しかし新規の仕事

 

が始まりましたが、人員を減らしたまま新規の仕事に工場は突入してしまいました。

 

勿論、工場は製造能力を大幅に超えたままです。このままでは製造は追い付かなくなる

 

事は明白になっているので経営に報告など色々と情報提供や連絡しながら切り抜けた。

 

2020年12月

年末には新型コロナ感染者がいつ500人を突破してもおかしくない状況でした。年末の

帰省も年末年始も静かに過ごすようにお願いが出ていたと記憶しています。

 

仕事はさすがに新規とは別の従来の仕事も少しはあったりと許容量はとっくに超えた

 

製造量でした。そんな時に経営からとんでもない声が聞こえてきた。

 

12月3日

日報を見ているので人員を増やすか残業しないと製造しきれずお客様に迷惑が掛かる

 何を今までやっていたのだと叱責があった。会議中も苦言を呈すとも言われた。

 

先月からそんな事は分かっているし、新規の仕事を受けた時に人員の増員はお願いしていた。先月から経営の大好きなサービス残業も毎日やっている。

 

そんな事実を思い出したりしたのか、今度は人事担当に11月から増員は言ってあったとか、少しの残業でごたごた言われたくないので申請しろだとか言い出した。

 

そんな事は全く思っていないし事実ではない、担当者からそんな事実はない事はすぐに聞いた。

 

先月から思っていた事がついに決心に変わった月でした。

 

「こんな会社もう辞めよう」

 

有給休暇は常に満タン40日残っているので計算なんてしなくても大丈夫。

一番会社にダメージがあって同僚に最小限の迷惑で済む日取りだけ計算した。

 

12月15日に退職届けを提出。

1月15日まで引継ぎしながら出勤。

有給消化で3月15日で退職という計画を立てた。

 

長い付き合いの同僚にだけは話をしておいた。

その後がまた色々とあるのですが長くなりそうなのでまた次回にします。

 

結果的にはまだ退職はしていません。世界の誰かの参考になればと思います。

いつでも辞めれますが辞めるにもパワー要ります。